「アイルランドにいく」
刹那がその部屋を訪ねても忙しそうに奥のデスクで端末に向い続ける背中越しにそう伝えたとき、彼は自分がティエリアに対して何を求めているのだろうかと、そういったことを考えていた。反対してほしかったのかもしれないし、罵倒されたかったのかもしれないし、そうではなく、肯定の言葉や背中を押してくれるような動作を求めていたのかもしれない。何か意味を持って呟かれたはずのその決意のことばは、けれどもそれに反し、あまりにもするりと刹那の口から発せられたのだった。ふたりにとってその言葉が持つ重みと、反比例するかのように。
# commune(時をとめる) - なぎこ
「兄さんの話聞かせてよ」
休憩をとりはじめてからの数分間、ライルの出した数値を記録したり、端末に次の演習プランを打ち込んだりなどと、休むことなく動き続けていたティエリアをとめたのは、彼の何気ない、けれどあまりに深い意味を持つ一言だった。端末から顔をあげた少年の顔が驚いたように歪んだあと、すぐに気丈に美しくかたちを変えていく様を、彼はじっとみつめていた。ティエリアの身体の奥にある、ロックオン・ストラトスが残した何かを悟られないように必死なのかもしれないが、それではそこに何かがあるとわかりきってしまう、と、彼はこどもの小さなミスを微笑ましく思う。
# commune(おとな) - なぎこ
「もう平気か?」
「何がだ」
「ロックオンのこと」
瞬間、彼の瞳が揺らいだのを、刹那は見逃さなかった。それは波のない湖に石を投げ込んだときのように、身体中へ波紋をひろげていく。けれどティエリアはそれを平然とした風で、ゆっくりと瞼で覆い隠していった。次にその赤い目が空気と触れあうとき、ティエリアはすっかりその身体の奥の奥へと、自らの感情を沈めているのだ。
# commune(夜がやさしい日) - なぎこ
「でも今日話していてわかったよ。刹那もティエリアもさ、この艦にいるやつらはみんな兄さんのこと、本当に好きなんだな」
まるでロックオンのことを懐かしむように言うライルの姿に、刹那はつい同調してしまいそうになるけれど、それはライル自身の微笑みによって、違うと突き放されるのだった。
「…お前は違うのか?」
「俺?」
その質問を投げかけられたのが心底意外だというように、ライルは肩をすくめて考えるふりをするけれど、彼はすでに答えるべき言葉を知っている。
「そうだね、俺も、愛してたよ」
# commune(弾丸はとばない) - なぎこ
制服が濡れることなど全く気にせず、刹那の濡れた腕をつかみ強く引くと、ティエリアはそのままシャワールームのドアを思い切り閉めた。微重力のなか、ふわふわと浮かぶ水滴が、彼らを取り囲んでいる。
「…ティエリア、どうした」
ぎゅう、と、あまりに力強くつかまれたその腕にあいているほうの手をのせ、刹那はゆっくりと微笑んでみせたけれど、それがひどくぎこちないものだということに、彼は気が付いていなかった。もしかしたら、自分が長時間あの場にいたことすら理解できていないのかもしれない。
# commune(生き死ゆけるもの) - なぎこ
「失いたくない、もう何も壊したくないと思うのに、何故あの男をここへ連れてきたのか、自分でもわからない。それがロックオンへのあてつけだったのか、何なのかわからないんだ。俺はかわりがほしかったのだろうか。やり直しがしたかったのだろうか。ライル・ディランディはロックオンではないとわかっているのに、」
「刹那」
ひどくつらそうな顔をしていた刹那の名前を呼んで、その頬にティエリアはそっと手を伸ばした。ティエリアの手はあたたかかい。身体がするするとほどけていってしまうような気さえする。
「もう、何も言わなくていい」
# commune(星はめぐる) - なぎこ
その扉がすべて開ききってしまった瞬間、刹那は寝姿そのままの格好でベッドに横たわっている男をみつけた。床の上でころころと転がりながら二人の名前を交互に呼ぶハロを拾い上げて、ごく自然なしぐさで彼をベッドの上めがけて放り投げた。つくられた重力の下でゆるやかな放物線を描いたハロは、次の瞬間には、ちょうどバスケットボールのパスを受け取る要領でロックオンにキャッチされる。
おはよう、とそこに横たわったままロックオン・ストラトスが部屋に一歩足を踏み入れた刹那に声をかける。美しい発音の、流暢で完璧な挨拶だった。
刹那の背後で閉まる扉。でも彼はそれにはこたえない。
「体調が悪いのか」
「いや、平常だよ」
「なら何故起きない」
# あなたに(シューティング・スター・ダスト) - 浜田
「君はかなしくないのか?」
音となった言葉が濡れた空気を伝って男の耳へと届く。それはなんだか久々の感覚であるように彼には思われるのだった。ライルはその質問の意味と目的について考えてみるけれど、少しずつ彼のすべてを侵食しはじめていた空白の疲労に思考を邪魔されて、あきらめて投げやりに頭を振った。
「悲しいって?」
「君は君の兄が死んで、かなしくはないのか」
「兄さんが死んだっていう実感は、たしかにあまりないかもしれない。でもだからといって決して悲しくないわけじゃない」
「それならなぜ泣かない」
ティエリアのその問いかけは、むしろライルに対してではなく自身に向いているかのように彼には思われた。
「悲しいと絶対に泣かなきゃいけないのか?」
ティエリアは黙った。後ろからその背中をみて、あきらかに彼のからだは何かに囚われこわばっているのだった。
# あなたに(さよならを言うまえに) - 浜田
腕をのばして、その肌にふれた。先ほどまで汗でしっとりと湿って熱をもっていたそれは、今ではすっかり乾いておだやかに温かかった。薄くなった、でもおそらくは決して消えることのないのであろう傷痕を、指先ですうとなぞれば、刹那が一瞬だけ呼吸をとめる。
構わずに、そのまま彼の腰囲に手を這わせるようにしながら後ろから腕をまわした。うつ伏せのまま身体を寄せていくと、ついさっき刹那がかけてくれたばかりのシーツが音をたててティエリアの背の中ほどまでずれ落ちてゆく。それでも、露出された素肌が無防備に空気にふれるのだって、その少年は一向に気にも留めないようなのであった。刹那の腰まわりにぐるりと右腕をまわし、少しだけ力をこめて、ティエリアはそのいくつもの傷の残るあたたかな肌へと顔を近づけていく。そうして、頬をすり寄せるようにしてその表面へと耳をくっつけた。
体温を感じながら、ティエリアは目を閉じる。刹那はなにも言わない。
「不思議な音が聴こえる」
# あなたに(問いと答) - 浜田